12時08分の天使

俳句なぞを好き勝手に書きなぐっています...あそびをせむとやうまれけむ

モウロクは愉し?!

ここ最近の天気がおかしなことになっている。
もはや地球が狂ってしまったとしか思えない。
年寄りは、瞬息万変の気象に、気圧についていくことができずにいる。
バカみたいに「ああ、やだ!この天気!! 」を繰り返している。
うちのメス猫もご老体のせいか怠そうに見える。

子どもの頃 ──
急に暑くなっても、寒くなってもお構いなしだった。
雨が降っても、雪が降っても外に遊びに出かけていたように思う。
体がちゃんと臨機応変に順応するのだろう... 若いだけに。
周りの大人たちが「暑い」だの「寒い」だのと、いちいち騒いでいることに違和感を抱いたものだ。
なぜ、大人は天気などというシンプルで瑣末で益体もないことを話題にするのか。
よく考えて話をすることが苦手なのかもしれないな。
いや、それよりも中身のある話をするのが面倒なのか ──

最近、ようやくその時の大人たちの気持ちがわかってきたところだ。
彼ら(当時の大人たち)にしてみれば、瑣末なことではなかったのだ。
天気だけではない。
ちょっとした環境の変化に対して、キビキビと対応できなくなってくるのだ。
体力は衰える、順応力もなくなる ── そして次は?
何だ?何がくるんだ??
この先一体、どうなるのだろう。
考えるだけで、実に恐ろしい。

ときに ──
75歳の頃の横溝正史翁は軽井沢の別荘にて夏を過ごす際、ご高齢に加えて乗り物恐怖のため大変苦労されたようである。
電車などの一般的な交通機関は使わず、気心のしれたタクシー運転手に頼んで目的地に向かったそうだ。
気心が知れた間柄であれば、何ごとか起きた時でも遠慮なくストップしてもらえるからなのだろう。
歳を重ねると、若い頃に普通にできていたことも徐々にできなくなってゆくもの。
物忘れもなお以て進行していく。
自分もそうなっていくのだろう。

私はちかごろよく物忘れをする。
きのうも人工クーラーの成城の家から、天然クーラーの軽井沢へきた嬉しさに、ついフラフラとご近所 を散歩していると、すぐ耳のそばでホーホケキョと鳥が鳴いた。
私は立ちどまってホーホケキョ? あれはなんという鳥だったかなとしばし思案をするしまつ。
鶯なら毎年春先になると、成城の家へきて鳴いてくれる。
それがなかなか思い出せないほど私はボケているのである。 

『真説 金田一耕助横溝正史』より

御大、これしきのことで落ち込んだり動じたりすることなく「モウロクもまた愉し」とどんと構えておられる。
読みながら思わずクスッとしてしまった。

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